平安時代末の福原京を首都とみなせるか否かについては近年議論がある。首都否定論の立場からは、『平家物語』などの文学作品に語られる「福原遷都」の実態については、平氏政権が和田(神戸市)方面への遷都を目的として福原に行宮を置いたに過ぎず、それによって平安京が従来の首都機能を失った様子も特に見られないことから、建前はどうあれ、福原は京都の機能を軍事・貿易面で補完する事実上の副都に留まった、とする主張がある。実際、福原への遷都宣言が出されたことはなく、行宮滞在中も行事は京都で行われている上、遷都計画が頓挫した後は、京都を首都とする方針が政権中枢にて決定されている。これに反し、福原には八省院や官衙の整備計画も持ち上がったが、結局実行されなかった(『玉葉』治承4年7月16日条・8月4日条・11日条・29日条)。
南北朝時代(1336年 - 1392年)は、「正平一統」(1351年 - 1352年)の短期間を除き平安京が北朝の首都である。ただし、南朝の本拠は全て行宮、すなわち仮の拠点として扱われ、正式な首都は平安京と見なしていたと推測される。
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日清戦争中の1894年には、広島県広島市に明治天皇が行幸して、大本営も移った。帝国議会も開催されるなど、一時的に首都機能が移転し、臨時首都の様相を呈した。
太平洋戦争末期の1944年には、皇居と大本営を長野県松代町(現長野市)に移転させる計画が陸軍により始められたが、敗戦により中止された(松代大本営)。