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ソウルの支配者が二転三転する激しい戦闘の結果

ソウルの支配者が二転三転する激しい戦闘の結果、韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人が死傷した。一方、アメリカの推定では、北朝鮮軍が約52万人と言われている。中国人民志願軍は約15万2千人が「戦死」したと中華人民共和国側は発表している、毛沢東国家主席の息子の一人毛岸英も戦死した。

激しく移動を続けた戦線により、激しい地上戦が数度に渡り行われた都市も多く、最終的な民間人の犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われ、一説には全体で400万人~500万人の犠牲者が出た。詳細に言えば北朝鮮の死者は250万人、韓国は133万人で大多数が一般市民だった。中国人民志願軍の死者100万人、アメリカ軍は6万3千人だった。この犠牲者数は15年間のベトナム戦争に近い死者をたった3年間で出し、いかに朝鮮戦争が激しい闘いだったかを物語っている。

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また、現在両国において日本による併合時代の建造物が、同じく日本の統治下にあった台湾島に比べて極端に少ないのは、後の民族教育の一環で故意に破壊された事もあるが、それよりもめまぐるしく戦線が移動した上に、過酷な地上戦で建造物が破壊された朝鮮戦争の影響が強い。

「夫が兵士として戦っている間に郷里が占領された」、というような離散家族が多数生まれた。両軍の最前線(今日の軍事境界線。厳密には北緯38度線に沿っていないが、38度線と呼ぶ)が事実上の国境線となり、南北間の往来が絶望的となったうえ、その後双方の政権(李承晩、金日成)が独裁政権として安定することとなった。

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2009年11月10日 15:07に投稿されたエントリーのページです。

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